お待たせしました、ようやく光市の母子殺害事件について。
「近々のアップに向けて鋭意努力中」と記した前回更新から、1カ月余りが過ぎました。8月はついに1回も更新しないままだったわけですが、その間も、この事件への関心の高まりが収まる気配はやっぱりなかったようです。
というのも、ついこないだ、弊ブログに8000件もアクセスがあったんですね。自分で言うのも居直るようでなんなんですが、更新もされてない休眠状態のこんなブログに。
思い当たる節はひとつしかありません。この事件の弁護人4人が橋下徹弁護士を訴えた直後のことだったんで、検索してみたら、きっと弊ブログが引っかかったんでしょう。もしそうだとすれば、8000人の方々は恐らくがっかりしただろうなあ。予告ばっかりで、たいした情報はなんにも載ってないすからね。あ、これも居直りだ。
で、ようやく更新に至ったわけですが、またまたがっかりさせるお知らせです。今回は、ほんの触りまでしかお伝えできません。
この事件、改めて言うまでもなくとんでもなく高い関心と論議を巻き起こしてます。その中には、どうしようもない誤解や思い込みに基づくものも少なくありません。知りたい、という欲求に対し、メディアの側がちゃんと応えられていないことも大きな要因でしょう。
それに応えるには新聞記者である以上、紙面でもって伝えるのが本分なのでしょうが、締切、そしてなによりスペースの制約があるため、十分でないのが現状であります。ですから、このブログでは可能な限り詳しい情報をお伝えしていこうと思ってます。このため、何回かに分けて掲載せざるを得ません。
それから、この事件についてのフクトミの心証は審理が進むたびに右へ行ったり左に戻ったりしてます。なので、いま現在の思いでなく、そのときそのときに感じたことをそのまま記すこととします。
ついでに。被告人の表記ですが、「少年」としておきます。「被告」やら「元少年」とするより、なんとなくしっくりくるもんで。この事件に関心を持ってこんな場末のブログまで訪ねてこられる方なら、大半は実名を知っておられるんでしょうが(笑)。
では差し戻し控訴審の具体的な審理内容に入る前に、事件のあらましをおさらいしておきましょう。まずはこれまでの主な経過から。
平成11年
11日 地検が殺人などの罪で少年を起訴
12月22日 論告求刑公判で検察側が死刑を求刑
平成12年
28日 検察側が広島高裁に控訴
平成13年
12月26日 控訴審公判で本村さんが「断じて許せない」と意見陳述
平成14年
27日 検察側が最高裁に上告
平成18年
15日 最高裁が弁護人に初の出頭在廷命令
平成19年
28日 差し戻し控訴審第4回公判。証人尋問
25日 差し戻し控訴審第6回公判。証人尋問
26日 差し戻し控訴審第7回公判。証人尋問
…といった感じ。
今となっては意外な印象を受けられるかもしれないが、この事件は発生時、新聞各紙とも1面で報じていない。それは18歳だった少年が逮捕されたときも、初公判が開かれたときも同じだ。
鈍かったわれわれマスコミの反応が変わりはじめたのが、死刑が求刑され、そして無期懲役が言い渡されたころからである。いみじくも、差し戻し控訴審の取材に来ていた地元・山口の民放の記者が悲鳴を上げていた。「1審のころはこんなに大騒ぎじゃなかったのに」
それは、言うまでもなく遺族である本村洋さんが司法の、そして社会の不条理きわまりない現状を訴え続けてきたからだ。妻と娘の生命が無残にも奪われた不条理。犯人である少年は匿名で保護され、一方で被害者や遺族はないがしろにされる不条理。
今でこそ、この事件に関心がある人なら少年が弥生さんを死後に陵辱したことは知っていると思う。というか、むしろそのことが(及び、にもかかわらず死刑が適用されなかったことが)これほどの関心を呼んでいるのだろう。
だが、当初はそうではなかったはずだ。われわれマスコミは「被害者の尊厳を守るため」という慣習にのっとり、「乱暴」「暴行」とぼかした表現に終始していた。それが変わったのは、本村さんが少年が犯した罪を明らかにするためにも、事実を報じるよう求めたからだ。
本村さんは傍聴の際に遺影を法廷に持ち込むことを制止され、裁判所の職員に抗議したことがある。現在では遺族が遺影ととともに審理の行方を見守ることは当たり前となっているが、本村さんが声を上げたからこそ、当たり前になったのだ。
つくづく、8年という月日の重みを感じざるを得ない。そして、この8年の間に、妻と娘を愛するごく普通の家庭人であったはずの本村さんに訪れた変容に驚嘆せざるを得ない。いや、変わらざるを得なかったのだ、きっと。
こんな事件に巻き込まれる以前、本村さんは「永山基準」はもとより、「起訴状」だとか「殺意」という言葉とも無縁の生活を送ってきたはずだ。警察と検察との区別もあいまいな、ごく普通の人たちと同じように。
それが現在のような本村さんになったのは、あまりに巨大な不条理に直面したからであろう。闘うため。闘う武器を身につけるため。どれだけの書籍を読み、考え、行動したか、途方もない8年だったはずだ。
本村さんは1審・山口地裁が無期懲役を言い渡した後の会見で、こう話している(大意)。
「判決を聞いて、負けたと思った。敵は被告だけでなく司法だったのだと思う。これでは墓前に報告できない。死刑にしないなら、早く社会に出してほしい。私がこの手で殺す」
われわれ日本人には大なり小なり、ストレートな感情の発露からは目をそむけたくなる傾向があると思う。当時、「気持ちは分かるけど、ここまで言わなくても」と思った人も多いのではないか。実際、このとき2ちゃんねるなどには本村さんを揶揄する書き込みが相次いだように記憶している。今とは大違いである。
差し戻し控訴審の初公判の2日前、5月22日午後8時半から光市内で会見した本村さんは、こう話している。
「妻と娘の命を無駄にしないために何をすべきだったのか、答えが分かっていれば、悩み、苦しんだりしない。静かに社会から事件が忘れ去られていくのがいいのか、それとも声を上げて社会に問題点を見つけてもらうのがいいのか。どちらが正しいのか分からない。ただ、私は後者を選びました」
初めて見る本村さんは、もうほんとにどこにでもいそうな普通の青年だった。それが、われわれの質問に立て板に水のごとく答えていく。これまでの記者生活で記者会見に何度出席したか数える気にもならないが、これほど質問の趣旨を酌んだ過不足ない明晰な答えが返ってくる会見は初めてだった。
「本村さんの活動により、被害者の数で死刑か否かを判断する傾向は変わってきたのではないか」。会見では、こんな質問も出た。これに対し、本村さんは
「誤解をしていただきたくないのは、私は決して死刑の数を増やそうとしているわけではない、ということです。人を殺めるということがどういうことかを知っていただき、少しでも犯罪が減ればと思って、こうした活動をしております。でも私の活動のせいで死刑判決が増えるのであれば、私は一番の殺人者かもしれない。もしそうならば、私はその命を背負って生きねばならないと思っています。私の意図したことではありませんが、そうした批判は甘んじて受けなければならないと思っています」
と答えている。本村さんは、死刑という制度そのものの是非に言及してきたわけでない。ただ、死刑制度が存置されている以上、現に死刑という最高刑がある以上、少年が犯した罪には最高刑が適用されるべきだと主張してきただけだ。今思うと、「死刑推進VS死刑廃止」という極めて分かりやすい構図に、弁護側だけでなく本村さんをもはめこんで報じようとする姿勢が、顕著にあらわれた質問だと思う。
実はこの日、広島市内で午後3時から弁護団の会見も開かれていた。それから本村さんの会見が始まるまでの時間を利用して、初めて事件現場を訪ねた。
JR光駅はほんとに小さなローカル駅、といった感じだった。学校帰りの高校生らに交じって改札を抜けると、客待ちのタクシーは1台だけ。運転手は行き先の住所を告げただけで、こちらの用向きを察したようだった。「ああ、事件の取材の方ですか」
道すがら、話はどうしても事件のことになる。「そういえばつい最近、本村さんには乗ってもらいましたよ」「犯人の父親には、ちょくちょく乗ってもらってるなあ。割と景気がいいみたいですよ」。人口約5万人。小さな町では、8年経っても事件の存在は生々しい。
日没までに到着しなければ、と慌てていて、花を買ってくるのを忘れたことにタクシーを降りてから気づいた。事件現場となった団地は20棟ほど。今やその大半が空室になっている。ご存知の方はご存知なのだろうが、団地は光製鉄所に勤務する新日鉄や関連企業の社員のための借り上げ社宅だった。入居者が減ったのは、事件のせいというより、団地の老朽化と製鉄所の配置転換のためらしい。
そのうちの1棟の4階。ドアの前には花が手向けられ、ヨーグルトにキャンデー、そして「となりのトトロ」のアクセサリーも供えられていた。インターホンはなく、古いタイプの呼び鈴しかない。ドアにはレンズ式のドアスコープどころか、旧式ののぞき窓があるだけだった。弥生さんは、配水管の検査を装った少年が排水の検査を装ったのを信じて室内に招き入れ、殺害されている。ドアに「セールスお断り」のプレートが張ってあるのが、痛々しかった。
しばらく佇んでいる間に、すっかり日が暮れていた。ひっきりなしに飛んでくるヤブ蚊を追い払いながら、棟の外に出た。すぐそばに、かつて少年が住んでいた棟も見えた。少年法の趣旨を酌んだためか事件発生以来あまり報じられていないが、少年も、この団地の住民だった。なんでまた、こんな小さな町のこんな小さなコミュニティで、こんな世間を揺るがす大事件が起きてしまったんだろう。
さて、初公判は5月24日に開かれた。だが、残念ながらフクトミは傍聴することができなかった。別の取材がたてこんでいたからだ。というのも、5月24日は別の、特別な意味をもつ日付なのである。
この日は平成9年に起きた神戸の児童連続殺傷事件で、土師淳くんが殺害された日だったのだ。それに、事件発生10年に合わせてこの10年の少年事件を振り返る計5回の連載を担当することになっていた。連載の取材も兼ねて2日前の会見には出張することができたけれど、当日は大阪本社で、現地の広島から送られてくる原稿のアンカーをする破目になってしまった。
余談になるのだが、この奇妙な日付の一致を、フクトミは偶然とは思えなかった。
少年による殺人、しかも死刑事件の代名詞ともいえる連続4人射殺事件の永山則夫死刑囚に刑が執行されたのは、酒鬼薔薇酒鬼薔薇で大騒ぎのさなか、神戸家裁が審判開始決定をした当日の平成9年8月1日だった。永山死刑囚には数多くの支援者がいた。しかもこれ以前に、犯行時少年だった死刑囚で刑が執行されたのは1人だけである。永山死刑囚に刑を執行すれば、大きな抗議や反発の声があがるのは必至だった。だから、法務当局は酒鬼薔薇のおかげで少年事件への厳罰を求めるムードが高まっているタイミングを狙って執行した、とみられている。
あえてサヨク的な言い回しをすれば、酒鬼薔薇事件の「政治利用」はこれだけではない。法務当局が長年、果たせなかった少年法改正が実現したのも、酒鬼薔薇がきっかけであろう。
で、光市の事件だ。初公判の期日を5月24日に指定したことで、土師淳くん殺害10年と並んで報じられることになる。この絵は、永山執行と酒鬼薔薇を重ねたときと同様、なんとしてでも死刑判決をとりたい検察側はもちろん、「犯行時18歳の被告だって死刑にしなさいよ」と審理を差し戻された高裁にとっても、おいしいはずだ。
しかも、この段階で公判期日が指定されていたのは、6月28日の第4回公判までだった。控訴審の場合、事前に指定しておいた期日までで審理を終えてしまうことが少なくない。6月28日は、酒鬼薔薇が逮捕された日付である。「酒鬼薔薇逮捕10年」と「光市差し戻し控訴審が結審、判決は●月●日」が並んで報じられる。これまた、おいしい絵であろう。
こりゃあ、なんらかの意思が働いているかもしれない。それで、別の機会に安田弁護士と会った際に尋ねてみたのだが、返ってきたのは「え、それは気づかなかった」という答えだった。なんでも、もともと高裁刑事部の開廷日が少ない上、弁護団の人数が多いため、日程があったのがたまたまこの日だったのだという。ありゃりゃ。
まあ長い余談はともかく、この日フクトミは大阪本社で、じりじりするような思いで編集作業にあたっていたわけである。隔靴掻痒、なんて昔覚えた言葉を思い出しつつ。
さて、初公判では、弁護側と検察側の双方が更新意見書を陳述した。最高裁による差し戻しを受けて控訴審の公判手続きが更新される形になるからで、まあ通常の1審なら冒頭陳述、2審なら控訴趣意書にあたるもんである。弁護側はA4判99ページ、検察側は12ページの分量だった。
「殺意はなかった」と傷害致死罪が相当とした弁護側に対し、検察側はあくまで死刑の適用を求めた、なんて双方の主張の概要は、4カ月も経って今さらこのブログではいいでしょう。この事件についてちゃんと論じようとするならば、散々報じられた断片的な概要はむしろ邪魔になるだけのはずだ。末尾に要旨を引用しておくので、ぜひ読んでみていただきたい。
で、高裁はとりあえず、弁護側の依頼で少年の犯罪心理鑑定を行った加藤幸雄・日本福祉大教授を証人採用し、6月26日から28日までの集中審理の際に被告人質問とあわせて加藤教授の証人尋問を行うことに決めた。弁護側が請求していた他の証人の採否は留保である。
この段階では、審理はあっという間に終わると思っていたのだが。
では、今回はここまで。次回の更新では6月分の集中審理、第2回公判から第4回公判までについて書こうと思ってます。
更新する時期は、いつもの通りお約束できません(笑)。18日からは次の集中審理が始まっちゃうんで、どんどん負債が膨らんでいくようで心の重荷になってはいるんですが(泣)。続きを読んでみたいと思われる奇特な方、気を長~くして期待せずにお待ちください。
…と最後に意見書の要旨を引用してこの更新を終えようと思ったら、字数制限に引っかかってしまいました(怒)。これで字数制限に引っかかるのは2度目だ。全角10,000字以内なんて言われてもなあ。
ただでさえ「人を不快にさせる恐れのある表現が含まれています」なんてエラーメッセージが出て、更新に1時間以上手間取ったのに。引っかかった部分を
「殺意はなかった」と傷害致死罪が相当とした弁護側に対し
と書き換えたら、エラーは出なくなったんだけれども。
じゃあ書き換え前はどういう表現だったかというと、これをコピペするとエラーメッセージが出てしまうので、なかなか皆さんにお伝えしづらいんだが。「殺人罪の適用をめぐり争った」ということを、これとはわずかな「てにをは」の違いで書いたらエラーになったわけです。まったく、どこが「他人を不快にする表現」なのかさっぱり分からん(激怒)。
それはともかく、とりあえず字数オーバーの意見書要旨については、分割して次の更新に回します。1カ月以上更新してなかったのに、今度は1日に2回更新することになるとは。


by なん
The Boy With The Thorn In Hi…