久々にゲラ検をしないで、ゆったり晩メシを食える夜だと思っていたのですが。
ここんとこバタバタしっぱなしのフクトミです。今月6日には5人が犠牲になった大阪市此花区のパチンコ店放火殺人事件の初公判、12日には大阪地検の元特捜部長らによる犯人隠避事件の初公判、と大きな裁判続きで、連載やら特集やらの出稿に追われていました。で、初公判が終わっただけとはいえ、ちょっと一息つけるな、と思っていたわけです。
ところが、夜7時ごろ、奈良支局のデスクから電話をもらった。
訃報である。亡くなったのは、奈良弁護士会の高野嘉雄弁護士だった。享年64。
きょう14日付の朝刊には、以下のような死亡記事が掲載される。
高野嘉雄氏(たかの・よしお=弁護士、元日本弁護士連合会副会長)13日、心不全のため死去、64歳。通夜は14日午後7時、葬儀・告別式は15日正午、奈良市佐保台1の3574の4、ならやま会館で。喪主は妻、良子(りょうこ)さん。
京大法学部卒業後、昭和49年に弁護士登録。甲山事件やスモン薬害訴訟の弁護団に加わったほか、平成9年に起きた奈良・月ケ瀬の女子中学生殺害事件や16年の奈良市小1女児誘拐殺人事件で弁護人を務めた。
なんでだろう。そのうち奈良で事件があったら、またお会いできると思っていたのに。また法廷で、あの厳しくて、かつ優しさとユーモアに満ちた尋問を聞けると思っていたのに。
高野弁護士というと、弊ブログで取り上げた事件でいえば、奈良市の小1女児誘拐殺人事件や、奈良県田原本町の医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件の主任弁護人である。平成21年1月15日付のエントリ「T.K.O.」(http://fukutomim.iza.ne.jp/blog/entry/873454/)で、草薙厚子氏に「命をくれとは言わないから、筆を折ってくれないか」と迫っているのが、高野弁護士だ。
それ以外にも著名な事件を多く手がけていて、奈良弁護士会に移ってからならば、奈良県月ヶ瀬村の女子中学生殺害事件でも主任弁護人だった。
大阪弁護士会所属のころはまさに数え切れないほどで、甲山事件や狭山事件の弁護団にも参加していたし、ご本人は、昭和50年代、逮捕された少年が冤罪と判明した大阪市東淀川区の強盗殺人事件が思い出深いとおっしゃられていた。
フクトミももちろん、ブログで取り上げた事件で高野弁護士をなんども取材したが、いちばん印象に残っているのは、実は法廷外の姿だったりする。
5年余り前だったと思うが、奈良市内で奈良弁護士会が開いた小さな講演会というか、勉強会だった。そこで、高野弁護士が「更生に資する刑事弁護」と題してスピーチしたのである。
もともと「更生に資する刑事弁護」というのは、奈良弁護士会がつくった小さな冊子のタイトルだ。その冊子も当時の取材ノートも自宅の段ボールの中なので、あいまいな記憶に基づいて記しているのだが、大学を退職した後、奈良弁護士会に所属した繁田実造という弁護士を追悼してつくられたものだった。かなり年齢を重ねてからの新人弁護士だったわけだが、国選事件を中心に、実に丁寧な弁護活動をしていたという。その繁田弁護士のモットーが「更生に資する刑事弁護」で、それは高野弁護士の理念でもあったというわけだ。
スピーチで、高野弁護士は概略、以下のようなことを話されていた。
「私は、犯罪は社会の中にある矛盾に翻弄された人間によって起こされると考えている。だから裁判では、この事件が社会の歪みの一断面だということを、裁判所に理解してもらうべく弁護に取り組んでいる」
「一方で、社会の責任を明らかにするだけでなく、被告人本人には自身の責任をちゃんと自覚させることも必要だ。そこから、被告人の更生も始まる。単に被告人の刑を軽くする弁護ではなく、単に被告人が処罰される判決ではなく、被告人が生き直しのきっかけをつかむような弁護であり、裁判でありたい」
そして、ある著名な殺人事件の弁護人だったときのことを、「『君の言ってることはどう考えてもおかしい。嘘をついとるんやったら、ちゃんと本当のことを話さんと、君はここから前に進めんぞ』と言ったら、解任されてしまいました」と振り返って苦笑いしたのだった。
弁護士でもないフクトミが言うのもなんなのだが、刑事弁護というのは難しい。
被告人の利益になるなら、合法なことはなんでもやる、という原理主義もある。
ヤメ検さんのように、「とにかく罪を認めるんや。そうすれば保釈もとったるし、執行猶予もつけたる」というのもある。
しばしば見かける、まったくやる気が感じられない弁護人は論外としても、いろんな弁護人がいていろんなやり方があり、どれが正解と言い切れるものではないと思う。
それでも、高野弁護士のスタイルというのは、刑事弁護の理想型ではないか。亡くなったから言うわけではないが、そう思う。


by なん
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